デヴィッドが生まれた北西ロンドンのハーレスデンは、ジャマイカ人やカリブ移民の多い地域で
ソウルとレゲエの音楽文化がミクスチャーされた町だった。
そのような環境の中で、彼は自然にスティーヴィー・ワンダーやアレサ・フランクリンを聴いて育ち、
ドラムを叩く事を愛していた。

そんな彼が義務教育を終えるとすぐに、音楽ビジネスの世界に飛び込んで行く事は必至だった。
90年代初め,ロンドン・ウォータールー地区のバウンデリー・ロウ・スタジオにレコーディング・エンジニア
として職を得た彼は、Hooj Choons,ミニストリー・オブ・サウンドのようなUKの名門ダンスレーベルから、
UK ガレージ、ドラムンベースやテクノなどのインディ・レーベルに至る、
様々なスタイルのダンスミュージックのミキシングやプログラミングに携わっていく。

しかし、彼の目標はアンダーグラウンドなダンスミュージックではなく、
メインストリームのプロデューサー・ソングライターとして成功する事であった。

そして、彼のファースト・メジャーヒットであるUKのR&Bグループ、N-Tyceで
ソングライター・デビューするのは、1996年の事であった。
その後も大手音楽出版社と契約したデヴィッドは、彼が最も敬愛するソウルフルかつ
ダンサブルなスタイルの音楽の作曲、プロデュースの能力を次々と開花させて行く。

2001年に、UKのガールズR&BグループのMisTeeqのファーストシングル「Why」が全英チャート8位、
セカンドシングル「All I Want」が全英チャート2位になったところで、デヴィッドのプロデューサーの地位を
決定づける事となった。
彼女達のアルバムもダブルプラチナム・アルバム(60万枚)として、その年の英国アルバムチャートの3位に
なるほどのビッグ・ヒットであった。

その後も日本での8万枚のセールスを含め、世界で20万枚以上ヒットした、UKソウルのネイト・ジェームスのファースト・アルバム「Set The Tone」ではほとんどの楽曲をプロデュース・作曲し、又近年では、ネイト・ジェームスの3枚目のカバー・アルバムのプロデュースや、彼自身初のロック・アーティストのプロデュースであり、中華圏で絶大な人気を誇るスチュワート・マック、UKラッパーのRajiv、ブラジリアンスタイルのポップシンガーKekell Saに至るまで、マルチな才能を発揮している。

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